みなさんこんにちは!
年間100冊本を読む、マイスナフキンライフの管理人・だいちです!
今回は湊かなえさんの『母性』のあらすじと感想を紹介します!
映画も気になるけど、原作も気になるな
映画と原作どう違うの?
こんなことを思っている方に向けた記事になっています。
湊かなえさんの『母性』は、2022年11月23日に映画化をしました
そのため、映画を見る前に原作で内容を確認したいというや、映画と原作の違いが気になる方が多いはずです
第6回本屋大賞受賞を経て300万部を超えるヒットを飛ばし、映画化もされた『告白』をはじめ、数々のヒット作を世に送り出してきた湊かなえさん。
本作はそんな湊かなえさんが「これが書けたら、作家を辞めてもいい。そう思いながら書いた小説です」と言わしめるほど、心血を注いた物語です。
それでは本作のあらすじと考察を紹介していきます!
今回紹介する作品
『母性』
あらすじ
女子高生が自宅の中庭で倒れているのが発見された。母親は言葉を詰まらせる。
「愛能う限り、大切に育ててきた娘がこんなことになるなんて」
世間は騒ぐ。これは事故か、自殺か。……
遡ること十一年前の台風の日、彼女たちを包んだ幸福は、突如奪い去られていた。母の手記と娘の回想が交錯し、浮かび上がる真相。これは事故か、それとも――。
圧倒的に新しい、「母と娘」を巡る物語
物語の始まり
17歳の女子高生が4階にある自宅から転落し、母親から警察に連絡があった
この事件が自殺なのか、事故なのか原因は調査中であった。
そんな中女子生徒の担任教師は『まじめでクラスメイトからの信頼も厚く、悩んでいる様子も特に見られなかった』と語り、母親は『愛能う限り、大切に育ててきた娘がこんなことになるなんて信じられません』と言葉を詰まらせていた。
この事件はどういう経緯で発生したのかーー
自殺なのか。事故なのか。
母親の目線、娘の目線で物語の真相に迫っていくーーー
物語の流れ
本作は全7章構成で、各章3つの視点で物語が進んでいきます。
- 視点①「母性について」
-
娘の転落事件の母親の発言に違和感を感じた女性教師が、職場の国語教師と”母性”について語る展開
母性とはなんなのかーー
二人の目線で語られます。 - 視点②「母の手記」
-
”私”という一人称で物語が進みます
”私”はキリスト教の神父様の前で、今までの過去を振り返っていきます。
”私”目線で語られる、娘との日々
そして”私”の母親に対する深い思いとは - 視点③「娘の回想」
-
”わたし”という一人称で物語が進みます
回想という点から分かる通り、娘が意識不明に重体になり消えかけている意識の中で思い出を振り返っていきます。
娘から見た母親の姿とはーー
そして、娘が母親に求めていたものとはーー
『母の手記』
”私”という一人称で物語が進んでいきます
娘の誕生
”私”は24歳の頃に絵画教室で出会った男性と結婚します。
”私”は幼い頃から母のことが大好きで、なにをするにも”母が喜んでくれるから”という考えで行動していました。
結婚を決めたのも母がその男性を良いと言ったからです。
二人で高台の新しい家での新婚生活が始まりしばらく経った頃、一人の娘を授かります。
”私”は自分が母親と呼ばれることに違和感を感じながらも、母親が娘の誕生を喜んでくれることに喜びを感じていました。
”私”は母親になるには気持ちが未熟だったのです
母の死
家族で幸せに過ごしていたある日、悲劇が起こります。
ある台風の日、高台の家が土砂崩れに巻き込まれ、”私”は最愛の母親を失うのです。
それからの母親の手記は強烈です。
実の娘に対して「私には母親はいないのに、この子にはいる。」「どうしてこの子は母親の亡くした私の気持ちも分からずに甘えてくるのだろう」という感情が語られます。
”私”はいつまでも母の娘でいたかったのですーー
『娘の回想』
”わたし”という一人称で物語が進んでいきます
母に愛されたい娘
「漆黒の闇の中で思い描くのは、いつも同じこと」という不穏な1文から始まる『娘の回想』
おそらく事故で意識不明になっている中で、過去を振り返っているんだと思います。
”わたし”はとにかく母親に愛されたいと願っていました
その愛は何か見返りがあるものではなく、”無償の愛”を求めていました
”わたし”のおばあちゃん(”私”の母親)は常に無償の愛を感じていました。
しかし、母から感じる愛はそういった愛ではなかったのです。
母親を守ろうとする娘
おばあちゃんを災害で亡くしたあと、家族は田所の実家へ転がり込むことになりました。
そこでは母親に対する姑のひどい嫌がらせがありました。
過酷な農作業をさせ、家事は一切手伝わない。さらには作った食事に対して文句をいう始末
それを見て見ぬふりをする父親
そんな母親を守るために”わたし”は姑に食ってかかったりしていました。
そうすることで母に感謝され、愛されたいと思っていたのです
食い違う二人
二人の目線で語られる物語は多くの点で食い違いが発生しています。
”私”の目線では『愛能う限り大切に育ててきました』『どれだけの愛情を注いできたか』といった言葉が綴られていきますが、”わたし”の目線では『母はわたしのことを殺したほど憎んでいる』『寝ているときに何度も脇腹を殴られた』など、明らかに二人の目線が食い違っていきます。
さらには、ラストの娘が事故に遭うシーンで、”私”の目線では『娘を強く抱きしめるため、両手をまっすぐ伸ばした』と描かれ、”わたし”の目線では『指紋の型さえ感じてしまうほど母の指がわたしの首に食い込んでいった』と描かれます
二人は自分の思いを言葉に表さず、こんなにも愛しているにどうしてわかってくれないの、とお互いが気持ちを押さえ込んで生きてきてしまったのです。
お互いが自分の気持ちをしっかりと言葉にしていれば、こんなことにはならなかったんじゃないかと思います
終章『母性について』
終章では元気になった”わたし”と、姑からの嫌がらせから解放された”私”が描かれ、物語の真相や『母性』とは一体どういうものなのか、本作なりの結論がわかります。
二人はお互いに愛を感じ、幸せになれるのでしょうか。
気になる方は是非原作小説を読んでみてください!
考察と感想
言葉にしないと分からない気持ち
本作の主要人物はとにかく自分の気持ちを言葉に表しません。
“私”は、娘のことをこんなにも愛しているのにどうしてこの気持ちが伝わらないのかと嘆き、”わたし”は母に愛されるために姑から母を守ろうとします。
この二人に言葉が交わされるシーンは驚くほど少ないです。
少しの会話があったとしても、心の内まで語ることはないのです
さらには父親も姑から嫌がらせされている妻を見ても助けることはせず、ほとんど黙っています。
それでも父親は母のことを愛しているのです。
もっと二人が本心のままで寄り添っていればこのような事故を起きなかったと思います
娘は本当に元気になったのか
終章では娘の元気な姿が描かれますがこのシーンは現実に起きることなんでしょうか。
疑問に思うには二つの理由があります
- 娘の意識は戻らないと思う
-
第1章の『娘の回想』では、回想が始まる前にこう書かれています
「今いるこの闇は永遠に開けないような予感がする。だから、思い切り記憶を呼び戻し、人生に足りなかったものを補いながら、深い眠りにつくことにしよう」
『母性』46ページこのように描かれていることから、娘の意識は戻らないんじゃないかと思います。
- 終章のタイトルが『母性について』
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終章のタイトルは二人の教師が事件のついて語る『母性について』と同じになっています。
つまり終章は娘が実際に体験する物語ではないのではないかと思います。
二つの理由から娘は意識が戻らずそのまま死んでしまったのではないかと思います
そして、最後の物語は娘が願っていた幸せな日々が妄想として描かれたのではないかと考えています
母性とは
母性とはどんな母親も持っているものというものではありません。
子供を授かりながらも母親としての意識が足りず、不幸な事件が起きることは現実でもたくさんあると思います。
そんな現実がある中で、『母性』とはなんなのかを改めて描かれた作品でした。
子供は常に母親に愛されたいと願い、自分が求めているものを我が子に捧げたいと思うのが母性ではないでしょうか
まとめ
今回は湊かなえさんの『母性』を紹介しました
家族の在り方、母性とはなんなのかは考えさせられる作品です
2012年に単行本化された本作は、今だからこそ読まれるべき名作だと思います。
興味がある方は是非読んでみてください!
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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